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[裏木曽の紹介]
2.裏木曽の川

裏木曽を流れる主な河川には、木曽川、川上川、付知川そして加子母川(白川)がある。
いずれの河川も裏木曽を縦貫する阿寺断層の水平方向のずれの影響を受け、始は南西に流れているが、途中断層に沿って南東に流れる流域がり、その後また南西に向きを変えている。2

2-1 木曽川

木曽川の始源流は木曽薮原の北端にそびえる鉢盛山(2446m)の南斜面を流下する味噌川である。
鉢盛山は鳥居峠や境峠に連続した中央分水嶺の主峰で、流水を表日本(太平洋側)と裏日本(裏日本側)に分けている。
木曽川は表日本水系で途中王滝川、阿寺川、川上川、付知川、飛騨川など、多くの支流を集め、伊勢湾に注ぐ全長227kmの河川である。木曽谷の出口にあたる坂下から犬山迄を中流部としている。

坂下は木曽川の「河岸段丘」上に開けた町である。河岸段丘は深い谷を刻んで流れる川が中流部の開けた地域に出るあたりで形成される地形である。
川の流れがゆるやかなときにはおもに堆積し、流れが急なときには浸食によって川底が削られる。この繰り返しによって何度も、段丘崖がつくられる。
坂下の阿寺断層が知られるようになったのは、この四、五段の河岸段丘面を阿寺断層が断ち切っているのが発見されたからである。

江戸期の木曽川は、川上川や付知川を川狩り(小谷狩り)で運んだ伐木を筏に組んで、下流の錦織まで運ぶ(大川狩り)重要な河川であった。
現在では、坂下から下流には関電の落合ダム、恵那峡ダムがあり、早瀬と穏やかな流れが交互に続き、早瀬では鮎釣りが盛んである。

2-2 川上川

川上川は裏木曽山脈の夕森山を源とし、川上村を南西に向かって流れ、途中森平地区で南東に向きを変えている。坂下町内をなだらかに流下し、木曽川に合流する清流である。
上流部には夕森公園が有り、鱒釣り場やバンガローがある。 公園内には龍神の滝があり、奥三界山の登山口でもある。
夕森公園から森平地区までは渓谷である。
清流では、鮎釣りやアマゴ釣りが出来るが、水量がやや少なく物足りない。
江戸期の川狩りにも不向きで、いくつもの堰を作るなど、工夫をこらしての作業であったと思われる。

2-3 付知川

裏木曽を代表する清流である。古くには青川と呼ばれていた。水は青く澄み、流量も多い。そのコバルトブルーの深みから、アマゴが銀鱗を踊らせながら跳ね返って来るさまは、まさに釣り人の醍醐味である。

付知川は前山、唐塩山の東に源を発し、深い渓谷を流れ、渡合いを経て高樽谷、井出ノ小路谷の清流を集めながら、南西に転じて付知町に入る。この流域一帯は裏木曽国有林である。宮島キャンプ場で東股谷の清流と合流し勢いを増して南西に流れる。

大越地区を過ぎたあたりで南東方向に向きを変える。このあたりから川幅が広くなり、なだらかな流れになる。
塔の岩オートキャンプ場を右手に見ながら流下し、国道256号線の付知峡大橋をくぐれば付知の町中である。町沿いになだらかに流下し、田瀬地区に入る。田瀬橋を過ぎたあたりで流れは再び南西に向きを変えている。
大越地区から田瀬橋近くまでの約7kmの区間が断層活動による水平方向のずれである。断層に沿って流れるこの区間の河床は、破砕帯だから渓谷ではなく広い河原になっている。
なお阿寺断層の成立は今からおよそ100万年前、活動周期は2000年±500とされている。

田瀬橋を過ぎ樋の口に至ると川幅は狭く、いわゆる渓谷のようになり、風景が一変する。大きな岩にぶつかっては深みをつくり、また早瀬になる。鮎釣りの格好の場である。
新芽を吹き始めた頃は、若葉の薄緑と清流の青のコントラストがとても美しい。 栗本の吊り橋をくぐり、ローマン渓谷をすぎて、さらに夏焼、どーだ淵を流下して、千原橋に至る。いくつかの支流を集め、このあたりでは相当な水量になる。

さるとびを過ぎれば三本松である。深い淵がつらなり、いわゆる瀞場が多くなる。瀞場の鮎釣りもまた楽しい。大物が掛かれば釣糸がキュンキュンと鳴るほどに、深みに引き込まれ、たぐり寄せるのに一苦労である。
三本松を過ぎると、恵那峡ダムの影響を受け、流れは一層穏やかで鏡のような水面が続く。
木曽川との合流点はもうすぐである。

江戸期 裏木曽の五木の搬出は水量の安定した冬季に、川狩りによっておこなわれていた。付知川は水量も多く川狩りに適しており、後背地に美林が多いだけに、賑わったようである。重量物の輸送に適した陸路が開発される明治期まで続いた。



2-4 加子母川(白川)

加子母川は小秀山と三国山との間に源を発し、南西に向かって小郷、小和知地区を流れたあと、南東に向を変えて村内を流下する。万賀地区で再び南西に向きを変え、東白川村に入って白川となり、白川町で飛騨川に合流する。
上流には乙女渓谷がある。キャンプ場があり、小秀山の登山口となっている。
清流ではアマゴや鮎釣りが出来るが、村内での水量は川上川と同程度で物足りない。 鮎釣りは水量の多い白川地区が盛んである。
川狩りは飛騨川を経て木曽川に運んだ。飛騨川との合流点は白川口である。

2 中津川市神坂から坂下、川上、福岡、付知、加子母を経て飛騨萩原まで南東方
   向に約70km伸びる活断層。
   崖の高い方の地名「阿寺山地」から名前をとって阿寺断層と呼んでいる。
裏木曽を代表する付知川の清流 福岡大橋より
川上川(手前)合流点の木曽川
旧玉蔵橋近くの木曽川
上地、設楽の森を流下する木曽川 右側の小高い山は高森山(苗木城趾)
坂下町を流下する川上川と恵那山
付知渓谷を流れる付知川
塔の岩橋よりの付知川
清流の女王 アマゴ
付知町内を流下する付知川と恵那山
栗本吊り橋上流の早瀬と新緑
杉渡橋よりの付知川と裏木曽山脈
三本松を流下する付知川
中流部福崎公園の加子母川
木曽川合流点の付知川と「品の字」岩(中央右)