緒言 本論の著者は世に行はるゝ各種の日本文典の不備を慨し、之を改訂整理せむとの冀望を有して、之が研究に從事すること、殆八星霜に及べり、この間學界の進歩實に少からざるなり。然れども我が國語の學に至りては、なほ未甘心すべからざる状況を呈せり。茲に於いて、憤然自改訂整理の任に當らむと決心し、遂に本論を草するに至れり。 本論の目的は上に読けるが如くなれば啻に自家の體系を組織して其の成案を示すに止まらずして、其の何が故にこの案を執るに至りしかの經路を明示せむことを努めたり。これ、一は在來の文法書多くは獨斷に流れて、毫も其の然る所以を示さず、讀者をして判斷を加ふる餘地なからしめたる弊を矯めむと欲し、一は文法の根柢は決して學者一家の私見に止まらずして、深く人心に根ざし、固く國語の本性に存することを示さむが爲なり。この故に間、心理學論理學哲學上の論めきたることを述ぶるあるは止むを得ざるより出でしものなり。 本論の目的とする處は語論の新體系を樹立するにあり、句論の整理をなすにあり。著者の見る所によれば、現今の文典の制は國語の本性に適合せざるなり。殊に語論に於いて最甚し。改訂を要する所以なり。その句論は又支離滅裂なりとの酷評を下すものありとて辯疏すること能はざる程の状態なり。整理を要する所以なり。 本論に聲音論を缺くを怪むものあらむ。著者は聲音論と言語の内容に關する論、即、語法及句法に關する論とは大なる差別あるを信ず。かれは專、外的にして其の根據とする所は物理的、生理的の現象なり。勿論精神現象に關する<合字>こと</合字>なしといふにあらざれど、そは寧主とする所にあらず。語法や句法や、其の主とする所は人間の精神現象にあり。これを以て廣く語學といへば聲音論も入るべし、狹義の文法といふに至りては決して入るべからず。本論はこの狹義の文法につきて論述せむとするなり。且は又聲音の實相たる、啻に文法學者の研究に依頼すべきものならず、物理學者、生理學者と共に研究すべきもの。吾人の見る所によれば、現代の國語の聲音を論議する者、誰か一人科學的の根據に立てるものある。著者もまた、未、十分に之を研究せず.且輕々に論斷すべきものに非ずと信ずるを以て、愼重の態度を執りて一切立言せず。異日研究の結果得るものあらば其の時はじめて天下に見えむのみ。 本論は如何なむ時代の言語を對象とせるかと問ふ人あらむ。これ重要なる問なり。著者はじめ歴史的文典を編せむと企てたり。然れども、現今の文典は著者の目より見れば、決して體制の可なるものにあらず。これによりて現今の文典の主義によりて歴史的文典を編せむか、支離滅裂に終らむこと目前に見ゆ。自家の體制を述べつゝ、歴史的變遷を叙せむか、事態頗錯雑紛糾を極めむ。こゝに於いて自家の體制を別に特立せしめ、この自説にして果して世の承認を經ば、それに憑りて、歴史的文典を編せむも遲からじと思惟し、今は記述的にのみ叙することとはなしぬ。茲に於いて自然或一時代を限定すべき必要起りたり。其の主とする所は散文に於いて、律語に於いて、現代の標準的記載語として、用ゐらるゝものを對象としたリ。 語論の初に於いて、著者は語論に關する學説の變遷、及、其の批評を述べたり。これ、わが語論の發達を叙すると共に、其の長短を明にして、將來斯學に從事する學者に前車の轍に鑑みる所あらしめむと欲してなり。其の批評に至りては決して自家の體系を以て之に臨まず、努めて公平の態度を執り、其の説自身に於いて矛盾せる點、國語の本性に適合せぬ點をのみ指摘せり。句論に至りて、學説の變遷を述べざるは、其の發達極めて淺く、最近時に至りて學者の云爲に上りたるものなれば、敢へて特別に史的研究をなすべき必要なきを以てなり。 本論を草するに當りて古今の文法書の稍可なりと稱せらるゝものは力の及ぶ限り参照せり。然れども著者常に僻地に在り、加ふるに便少く未盡さざる點あるべし。外國の文典に至りては英文典の代表として「スヰート」の新英文典、獨逸文典としては「ハイゼ」の文典、この二書を主なるものとして参照したり。この故に單に、英文法、獨逸文典といはば右の二書の所説をさすものと知るべし。 著者は自己の成案を示すまでは、あへて自己の立てし名目を用ゐず大抵廣日本文典の名目を以て論じたり。又時としては體言.用言.助辭.形状言.作用言.動辭.靜辭など從來の名目をも用ゐたり。その場合には、皆其の名目を用ゐし學者のさせる語類をさせるなり、體裁の一ならざるは止むを得ざるに出づるなり。 著著の案を示すに至りては、其の用語從來のに異なる點少からず。これ著者新案のものと從來のものと同じ名目にては混亂を生ぜむを恐れてなり。しかして從來諸家の説と合する點あるものは成るべく之をとり若くは類似したる名目をとれり。これ又其の類似せることを示さむとてなり。 本論の目的は主として整理にあるを以て從來諸家の説にして據るべきものは直に之に依れり。其の引例は之を孫引せる所頗多し。これ一方より見れば文法家の義務なりと信ずればなり。然れども白家創見にかゝるものゝ引例につきては別に求め出でたるもの少からず。しかもなほ渉獵の至らざるが爲に缺きたるものあり。 從來諸家の誤謬と斷定し去りたるものにてもその例證顯然として、しかも吾人の思想の之をゆるすものは之を異例としてあげて誤謬との斷定を下さず。然れども吾人の未採用せざる時代の語法なるものは論に及ばず。 著者が本論をなすに至リたるはこの論中に散見する幾多の先輩及其の説を引用せし所の一切の文法家の恩賚なれば、茲に謹んで、これらの先輩に對して感謝の意を表す。然れども、學問の研究は交際によりて左右せらるべきものにあらず。この故に、著者は先輩諸氏の人格に對して絶對的に敬意を表すると同時に、其の學説の非につきては一歩も寛假せず。これ頗酷なるに似たれど、由來わが語學の不振は多くは師説の墨守にありたるやうなればこの弊を打破せむと欲してなり。 本論の體裁從來諸家の説と異なる點は詳に論じたれど、別に異論なき點には辯を費さずして、直に取りたるを以て繁簡の度一定せざる點なきにしもあらず。これこの論の目的より生じ來れる自然の結果、體裁不整の責は素より著者に存す。 本論は著者研究の結果を發表したるまでなり。社會の公認するか否かは未決の問題に屬す。今若この説を採りて直に普通の教育に施す者あらば、實に大早計の事にして著者の深く遺憾とする所なり。著者は唯此によりて國語學研究の熱度を高め得ば望足れり。若社會が之を公認せば其の時はじめて普通の戦育に應用せらるべし。學問の研究と教育の施設とを混同せざらむことを望む。 明治三十五年六月廿九日
本書の一部は五年の昔に、公刊せしが、全部は之を公にする機を失ひて今に至りぬ。かくて其の間の著者の研究は本書の下半部をば全く面目を一新せしむるに至りぬ。今にしてその古を思へば慚汗淋漓たり。さはれ今是も亦昨非となることなからむや。思へばそら恐しき威に堪へざるなり。 明治四十年十二月三十日